百里ヶ岳 

若狭・近江の国境近くに位置する標高931Mの百里ヶ岳。山頂に立てば百里四方が見渡せると言われた山頂から少し下った所に
「根来峠(ねごりとうげ)」がある。

戦国乱世の時、この峠を浅井・朝倉勢との戦いで窮地に追い込まれた織田信長軍の殿(しんがり)を勤めた徳川家康が、
京への最短距離と見定め駆け抜けた峠だ。根来峠は私が今まで越えた多くの峠とは全く違う、独特な雰囲気に溢れていた。

<京は遠ても18里>鯖街道は若狭の海産物を京の都へ運んだ道の事で多くのルートが有る。福井県小浜市のいづみ町商店街と
京都の出町商店街の歩道の片隅に「鯖街道・起終点」のプレートが有り、どちらからでも軽くタッチしてスタートするのが一般的らしい。

「山と歴史シリーズ」で<鯖街道>の目標を立てたが、資料を見る限り全て舗装道路である、山道は無い。
国土地理院の地図を見ても「根来峠」へ通じる山道は無い。インターネットで知り合った鯖街道歴史研究会会長の根本氏は有ると言う。
2002年4月、斉藤氏リーダーの「熊野古道中辺路」の帰路、私は大阪駅で途中下車し「根本氏」と合った。

近々、豊中郵便局関係の20数人が歩くと云う、同行させて頂く事にした。
後日、京都駅で鯖街道の保存に渾身の努力をしておられる小浜山の会の「杉谷氏」サブの「畠中氏」前述の「根本氏」と合流、
出町柳で豊中郵便局関係の一行と合流、花背峠から山に入り、小浜を目指した。宿は一度泊まりたかった有名な民宿「ダン林」その夜は当然、大いに盛り上がった。

翌5月。大野氏ご夫妻と妻を含め観光を兼ね4人で再度の下見に行った。途中、大野氏と二人で根来峠を目指した。
時間は自由に使える。織田軍の殿は「徳川家康」。二人で歴史談義をしながら何度もシャッターを押したが後日、
その中の一枚を見た大野氏に「ワタさん、下手な鉄砲が当たったぞ」と褒められた。その写真は引き伸ばし今も大切に飾っている。
ちなみに私の撮影の基本姿勢は「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式なので何処へ行っても数多く撮る、だからデジカメは離せない。

この二度目の下見の時も小浜山の会の「杉谷氏」サブの「畠中氏」のお世話になり感謝しています。

2002年11月、「山と歴史のロマンをたずねてパート2・鯖街道」を実行、参加者は大野氏と今田悦子さん、藤井満子さん(その後退会)の
4名だった。小浜駅に降り立つと正面のアーケードに大きな横断幕があった。「おかえりなさい!地村保志さん浜本冨貴恵さん」
北朝鮮に拉致されていた被害者の一部が帰国され、日本中が大騒ぎの真っ最中だった。

殺到する報道陣で宿もタクシーの確保も困難の情報を事前に得ていたのでタクシーを予約していた。
急遽予定を変更し拉致現場へ向かった。それは小浜市青井の小高い山の上だった。

TVで何度も見た小浜公園の円形の展望台に立つと、眼下に日本海が広がっている。こんな所でイキナリ袋に詰められ、
工作船に積み込まれたと思うと寒気がした。美しい筈の日本海は天候が悪かった為とはいえ、ドス黒く、
形容し難い凄愴感に圧倒され、拉致の事実を、我が身や知己の人間に置き換えた時、言葉が出なかった。

福井県の小浜と云う一地方都市の小さな公園の小さな展望台は、今後の我が国の歴史を語る時、又、
世界の歴史を語る時、大きな大きな歴史の証言台になる。

さて、<奈良のお水とり>と云う有名な行事がある。

「奈良のお水とりがすまにゃーぬくーならん」子供の頃、祖父母から言い聞かされていた私は、奈良の何処かに冷たい水の塊があって、
それを誰かが取るから日本に春が来て、暖かくなると信じ切っていた。奈良東大寺二月堂の「お水取り」の儀式は
日本の重要な年中行事の一つであり、1250年以上も昔から連綿と伝わっていて誰でも知っている。

意外に知られていないのが「取られる水」の事である。東大寺二月堂の若狭井に湧き出す「御香水」は「お水取り」の10日前に
小浜から発送される。しかし小浜の人達は輸送手段にトラック便や鉄道便なんかは使わない。遠い遠い昔から秘密の地下水路を使っている。

鯖街道の起点から若狭川に沿って上流へ向かい根来峠を目指す途中に「神宮寺」と言う有名な神仏合祀の寺があり、
本堂脇から「御神水」が沸き出でている。「お水とり」の10日前の夜、神事が終わると2K上流の「鵜の瀬」と呼ばれる河原へ運ばれる。
その夜、白装束に身を固め整然と進む善男善女が、夜の鵜の瀬に向かう松明行列は、
さながら一本の幻想的な光の道になると表現されている。「お水送り」の儀式の後、若狭川へ流される。

私達が「鵜の瀬」に行ったのは「お水取り」に無関係の日で、しかも昼間であった。駐車場や展示館の整備された観光地で、
美しい場所だ。「お水送り」の舞台がある。下流へ向かって数キロ先は日本海、川の流れは当たり前の話だが、日本海に注いでいる。
奈良は真反対の方角、上流だ。東大寺二月堂の若狭井までの道のりは長い。

流れに逆らい根来峠を越え滋賀県・小入谷に入り、朽木村を経て京都北山の深い山々を越え、花背峠を下り鞍馬から更に、
京都市内を越えた遥か彼方である。この間、幾多の分水嶺を乗り越える。しかし秘密の地下水路は、距離とか地形の起伏とか、
天候には全く左右されない。10日後には確実に東大寺の二月堂に到着する。

「鵜の瀬」の管理人さんが「お水送り」の拡大パネル写真を指差し「ここの、えーっと。これこれ、この白装束白頭巾が私です」と
嬉しそうに説明してくれた。更に小声で、某大学の学生が数年前「お水送りの舞台の真下」に潜り、秘密の地下水路を発見したと云う。
その水路は真っ直ぐに根来峠へ向かっていると云う。

私は「ほほう!へえええ!!そうでしたか!そりゃあー凄い事じゃないですか!」と素直に納得した。この場合「証拠は?」とか「ほいじゃが、どうじゃこうじゃ」とか云う質問は似合わない。 野暮な話は単なる屁理屈になる。「それを言っちゃあおしめえよ」の世界になる。

誰が何と云おうと「鵜の瀬」で放たれた「御香水」は白装束の小浜の人達の純真な祈りに見守られながら秘密の地下水路を流れ、
東大寺二月堂に沸き出でるのである。 1200年以上の昔から毎年一回、若狭川の川底深くに
誰も見た事がない神秘の水脈が忽然と現れ、時に流麗にしなやかにイナバウアの如く。時に雄雄しく逞しく、逆流を乗り超え繰り返し、
粛々と正確に奈良の都の「お水取り」の絢爛たる舞台を目指し確実に到着する。だから日本に春が来るのである。
「日本の春」は、鯖街道の起点に端を発する。

<京は遠ても18里> 遥かなり鯖街道。山と歴史のロマンに満ち溢れていた。

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