熊山         

福山山岳会で「熊山」と言えば真っ先に門田さんを思う。先輩の門田さんは熊山をこよなく愛しておられる。私も「山と歴史シリーズ3」で熊山を選んだ。

岡山県南部、兵庫県境の近くに位置する508mの熊山は幾多の貴重な歴史が山積されている。興味を持ったのは約700年前の南北朝時代、足利尊氏との争いに敗れた児島高徳が挙兵した時の腰掛岩、旗立岩が現存している事だった。

しかし単に地方の一武将の児島高徳が挙兵した場所と言うだけなら遺跡としては残っていないと思われる。しかし彼の「ある行動」は、後世に名を留める稀有な事でもあると思った。門田さんに種々のアドバイスを受け下見には大野氏が同行してくれた。

児島高徳の事を知ったのは30年近く前、斉藤監物(作)の詩だった。熊山挙兵する3年前、元弘の乱で敗れた後醍醐天皇が鎌倉幕府によって隠岐へ流罪となった時、彼は天皇を奪還しようと一行のあとつけたが機会なく、美作で厳しい警護の隙をついて天皇の寝所の庭に忍び込み、桜の幹を削って中国の故事に因んだ十文字の詩を刻み込み天皇を励ました。

朝、首を傾げる警護兵の傍で詩の意味を理解した天皇は微笑んだと言い伝えられている。この時の情景を昭和初期の詩人、小林弘氏(大正4年生滋賀・彦根)は「院庄」と題する詩の結句の部分で

桜樹微意を奏すれば笑み給う、此処はいずこぞ美作院庄と偲んでいる。

十文字の詩を平仮名で読むと

「天、勾践(こうせん)(むな)しうすること(なか)れ、時に范蠡(はんれい)、無きにしも(あら)と訳す。

詩の大意は「決して諦めず、再起できる日をお待ち下さい」と言う事だが果たせるかな一年後、後醍醐天皇は隠岐を脱出、歴史は南北朝へ流れる。「桜の幹を削ってメッセージを刻み込む」この行為は現在では自然破壊云々等批判的な声が多いだろう。しかし私は、いかにも日本的な情緒と風情に溢れていると感じた。

それにしても他に方法は無かったのか。彼は己の生死を賭して僅かな時間内に必死で模索したであろう。手段を選ばず後醍醐天皇に何としても伝えたかったか、迷いに迷った挙句だったか、俗に言う「火事場の馬鹿力」だったか、半分ヤケクソだったか、彼は一体どんな男だったのか。この意表を衝いた発想を短時間で実施した彼の姿を想像する時、彼の人となりに惹かれた。

どうしても現場を見たくなった。20数年前、当時の詩吟仲間に声をかけ献吟に行った。中国自動車道院庄インターの目の前にある「作楽(さくら)神社」がその舞台である。地の利がいいのでその後、何度も訪れた。賑やかな観光地とは全く異質な空間だ。

往時を忍ばせる桜の木は現存してないが、後醍醐天皇と児島高徳を祀った神社の境内には終日「忠義桜」の歌が流れている。児島高徳の忠義は大正時代に尋常小学唱歌として歌われていた事も、又、「君が代」の正しい歌い方も私なりに初めて知った。

熊山と児島高徳に関して残念な事や気掛かりな事もある。作楽神社の地理的位置が低くても一応、山と名の付く所なら「山と歴史シリーズ」で実行したいが、田園地帯のど真ん中に位置しているから山行としては出来ない。又2002年12月「山と歴史シリーズ3」の熊山山行で、私はリーダーとして旗立岩の前に立ち、児島高徳の伝記を講釈する予定だった。

しかし直前、私の体に突然異変が起きた。脳に鈍い衝撃音を感じた。一瞬何が起きたか解からなかった。ブリッジで繋いでいる三本の差し歯が前触れなくイキナリ抜け落ちたのである。こんな荒唐無稽な事は聞いた事も見た事も無い。参加者全員が仰け反って大笑いした。木にさばり付いて笑う人。御丁寧に尻餅をついて、のたうち回って笑う人・・関係のない第三者が見たら、なんとマア、さぞかし仲の良い微笑ましい一行と映ったであろうが冗談ジャない。口元に手を当て、差し歯は意外に重たいモンだと感心している場合ではなかった。ましてや児島高徳の講釈どころの話でもなかった。

旗立岩を横に見て、口数の少ない極度に物静かなリーダーに変身せざるを得なかった。それ以来、会報で<○月○日・熊山・L・門田敏昭>この活字を見る度に、抜けた差し歯を思い出す。

さて、疑問に思っていたのは彼の行為が何故、警備兵に悟られなかったか。3月21日、萩原さんリーダーの「登山道整備」に参加した時フト思った。新調した「鉈(なた)」の切れ味も試したかった。「やぶこぎ」の途中、頃合を見て臼木山山頂へ一人先に行き、手ごろな倒木を探し、幹まで削り字を刻もうとした。しかし鉈で削る音がする。幹に詩を刻むにはノミがいる。それでは確実に警備兵に悟られる。

試しに鉈を両手で支え、外皮を優しく削ると幹との間の薄皮が綺麗に現れた。爪で字を書いても判読できる。音は僅かだ。この程度の音は夜陰に紛れる。「そうか、彼は薄皮に詩を刻んだか」倒木に馬乗りになって腕組みをして考えている時、エンジン音が近付いて来た。「ワタさん、ここにおったんな。暑いなあ、チョッと休憩しようか」。草刈機を肩にかけ、汗にまみれた江種さんの優しい笑顔があった。

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