大雲取越え、小雲取越え  2011.04.15〜18   

4月15日〜18日の「熊野古道大雲取り小雲取りルート」は笑顔と爆笑の連続で愉しく有意義な山行と相成った。参加者17名全員は我が身の健康に感謝しつつ熊野古道を堪能した。17名の内、最近一年以内入会された方が6名、20数年前に入会されて全くと云って良いほど山行に参加されてなかった方が1名。7名の人は私にとって新しい方々だった。しかし在籍年数長短の垣根は雲散霧消の如く吹き飛んだ。熊野古道が吹き飛ばしてくれた。全員仲間である。福山山岳会の素晴らしき仲間であった。

バス帯同の三泊四日はザックも身も、心まで軽く、全国屈指の多雨地域にも関わらず天候にも恵まれた。しかも全行程は予定通りの時間で推移する事が出来た。これで盛り上がらないのが不思議である。疲れさえも心地よく笑い飛ばせた。当然の如く盛り上がった。

思えば熊野古道を歩くなんぞ私にすれば全く範疇外だったが、2000年5月大先輩の「故・田中安男さん」に初めて連れて行って頂いた。小辺路ルート前半だった。それ以降の熊野古道だが今回のコースは8年前の2003年4月に行っていた。最近退会された斎藤楠輔氏がリーダーで他に小土井薫計氏はじめ総員7名だった(現在3名は退会されている)、当然8年前を思い出す。どこを歩いていても鮮やかに8年前が蘇った。

ふと、一ヶ月前の高野山町石道との想いが重複した。3月25日〜26日、瀬良悦男氏リーダーの天保山・高野山町石道には21人が参加されたが私もサブリーダーとして参加させて頂いた。同じコースを7年前2004年4月、16名で参加していた(現在6名は退会、一名はご逝去)。最近亡くなられた「金山正さん」も参加されていた。高野山町石道も大雲取り小雲取りルートも懐かしい思いで歩いた。両方とも多くの画像を保存しているが当時の画像と見比べると懐かしさ以上に<時の流れ>を痛切に実感する。隔世の感がある。

頼山陽(江戸後期の思想家、漢詩人)の漢詩、「甲山歌」の前半部分に

 黙して数うれば山陽十往返(とたびおうへん)山翠は依然として我は白髭 とある。

要は、「何度も行き来しているが、山の緑は変わらねど道行く我は年老いぬ」と訳すべきか。

今回の四日間、田中さんの遺影と共に過ごした。昨年田中さんは鬼籍に入られた。ごく最近、金山さんも鬼籍に入られた。今回の山行で三泊した中、二夜の宿での大宴会の挙句、宿のビールが全て底を尽くという前代未聞の珍事を天国の田中さんが知ったら「オイオイやったのう」と。ひっくり返って大笑いするだろう。金山さんも「愉しかったんでしょうなあ」と腹を抱えて大笑いするかな?お二人の穏やかな温容を鮮明に思い出す。


私は数年前まで自分の中で「熊野古道は既に完結した」と自己満足していた。もう行く事は無いだろう、パソコンの中には過去5回の熊野古道の画像が1784枚も収まっている。
時々、気が向いた時に見て思い出しては愉しんでいた。もういいだろう充分だ。充分すぎる。熊野古道は私の中で完結したと決めていた。

しかし今回の山行で、その思いは違うのではないかと思い直した。考えれば私は単に紀伊半島のごく一部をチョコッと歩いただけに過ぎない。それなのに完結なんぞと考えるのは傲慢であり、不謹慎であり熊野古道を冒涜する事になるのでは無いか・・・。
来年も行こうと思う。自分自身の目標に定めて頑張ろうと思う。

十津川村から果無峠を越えて本宮を目指すか、紀伊田辺からの中辺路を歩き牛馬童子と再会し本宮を目指すか・・・福山山岳会の素晴らしい仲間達と行こうと思う。


画像は熊野本宮大社にて



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