瓦礫の山              

「言葉が無い」とか「言葉に出せない」とか言う言葉が有るが実際に瓦礫の山の前に立っ
た時、言葉が出なかった。これは「瓦礫の山」では無い「宝物の山」だと思った。その一
つ一つのどれを見ても誰かの生活の営みであった筈である。この膨大な山は何百人、何千
人の方々の日々の生活の根幹で有った筈である。悲惨な光景はこれだけでは無かった。ボ
ランティア拠点となっていた「お寺」の墓地も津波に呑み込まれた。墓石が呑み込まれた
のは理解できる。理解出来なかったのは墓石の下の遺骨も「引き波」に浚われたのである。
住職さんやボランティアの方々が拾い集めた遺骨の山は何処のお墓か、誰の家の遺骨かの
判別はつかない。やむなく積み上げ「塚」となった。その「塚」に合掌して私たちの僅か
に二日間ではあるがボランティア活動が始まった。

ここは「宮城県亘理郡山元町」震災報道で多くの災害地の模様が連日報道されている中で
今まで余り聞いた事が無い町だが後で聞くと震災直後、上空撮影のTV画面で見た広大な
畑の多くのビニールハウスが次々と無残にも津波に呑み込まれていたのが隣の亘理町と
山元町だった。大規模なイチゴのハウス栽培の産地である。

近くに「自動車教習所」が有った。白線のコース脇にスクラップに変わり果てた車が積ま
れていた。震災当日も教習中だった。地震直後、余震を警戒したと云う。海側には高い防
波堤が陸続と連なり海は穏やかだったらしい、30分後教習が再開されて間もなく津波情
報が伝わり、7台の車に分乗して避難を試みるも時既に遅く、5台が呑み込まれ25名の
若い命が奪われた。設けられていた祭壇に合掌したが・・涙が溢れた。



すぐ近くに保育所や老人ホームが無残な姿を晒していたが、ここでも多くの方々が津波の
犠牲になった。悲劇の舞台は数え切れない。私達は絶句するのみだった。

震災直後、福山市で東北支援の為にと「ある方」が立ち上がった。備後弁で「手伝いする」
を「てごうする」と言うのに因み、このボランティア団体は「てごうし隊」と名付けられ
た。活動理念は <備後と東北の新しい絆を作り、温かいマンパワーを東日本に届ける>

「てごうし隊」のボランティア活動は多岐に亘り、やがてバスチャーターでの現地活動へ
となり、過去4回に亘って実施され多くの市民が参加されていた。

私達福山山岳会の有志9名は「てごうし隊」の第5回目のバス支援に便乗させて頂き山元
町へ向かった。一泊四日の強行軍だったが疲れている暇は無かった。実質の稼動日は僅か
に二日間、「何か自分にも出来る筈・何でも良いから自分の手で何かのお役に立ちたい」参
加者に共通の意識である。作業は予想外に?単純作業で有ったが、絶対に機械力では出来
無い、人間の力でしか出来得ない事ばかりだった。塩害に遭い倒木の危機が予測される樹
木を伐採し細切れにして一箇所に集める・個人の住宅(前回の活動で復元)の横の菜園(5.
60坪)の整地・ビニールハウス建設・溝掃除・・等々。
どの現場にも必ず、若いボランティアリーダーが居てテキパキと指示してくれた。

個人(Mさん)の菜園の作業中、昼食タイムになり各自コンビニで買った弁当を開いてい
た時、Mさんが差し入れに来て下さった。それは真心の篭った「おにぎり」「おかず」「お
茶」だった。恐縮する我々に「どうか食べて下さい、食べて下さい」と。
聞けば Mさんは現在「仮設住宅」に住まわれている。我が身さえ不自由なのに、この日
は私達の為に朝早くから差し入れの準備をしてくれたのである。

此処にも若いボランティアリーダーが居た。長野県松本市から来た24歳、独身の彼は滞
在費・活動費を自分の貯金を喰い潰していると。貯金が底を尽いたら松本に帰り働いて金
を作り、再び此処へ戻りたいと云う。

樹木の伐採現場で根元をチエンソーで切っていた男性は46歳、岩手県から来ていたが滞
在費を少しでも浮かす為、マイカーで寝起きしていた。震災直後から来ている。
だから一年経過したと笑っていた。

伐採現場のボランティアリーダーは30代半ばだったか、彼は埼玉県から「通いボランテ
ィア」を一年やっていた。金曜日に仕事を終えマイカーで山元町へ、土日動いて日曜の夜、
埼玉へ帰り月曜日から通常の仕事をしていると聞いた。

ビニールハウス建設で10人近い男女のグループと共に作業した。何のグループなのか聞い
て驚いた。全員、個人で来ていた。東京、関西、中部、そして宮城県内から各自が山元町
にボランティアに来てお互いに知り合ったらしい。前述のボランティアリーダーの方々、
そしてこの若い彼等に頭が下った。何と云う若者達であろうか。東北の広大な被災地全域
に多くの若者達が頑張っているのである。彼等(彼女等)に名聞名利は無い。世間の評判
や名誉利益も考えていない。考えているのは <日本人として> の一言に尽きる。

今回の「てごうし隊」参加者は42名、平均年齢は約50歳だが、福山山岳会の9人を除
くと、その平均年齢は 37歳になり、福山山岳会9名のソレは64歳になる。
若い彼らの姿勢・行動を考える時、なんとも頼もしく、嬉しく、そして眩しくて目頭が熱
くなる。若い彼らと共に我々も頑張らなくては申し訳ない、間違っても彼らの足手まとい
になる事なく、我々年配者にしか出来無い事を模索し今後の活動を考えたい。

Mさん宅の菜園の仕上げは花の苗を植える事だったらしい(私は途中で別の現場に移動)
<花が咲いたら是非見に来て下さい・見に来ます> Mさんと約束したと聞いた。
約束を破ってはいけない。約束は守らなくてはいけない。

この「てごうし隊」を立ち上げたのは「馬場依奈美さん」34歳の女性である。彼女の考
え方、行動力、実行力、優しさが多くの福山市民、若者の共感を呼び、多くの企業に支援
の輪が拡がり今日の活動に繋がっていると聞いた。しかし時間の経過と共に、種々諸々の
問題が見え隠れしているのも事実であるとも聞いた。

次回の訪問の時期は今の時点で全く白紙である。個人的に行こうにもピンポイントで被災
地支援は不可能に近い。被災地は1300k.15時間の遥か彼方である。時間が少し出来た
からチョット行ってこう、と気軽に言える距離ではない。次回の「てごうし隊」の活動に
参加させて頂くしかない。その時、改めて有志の仲間を募りたいと思う。


福山山岳会参加者・敬称略 50音順

伊藤新二郎・江種幸雄・大深明美・黒木知寿子・高松仁道(次女18歳が同行)
藤井政志・三島卓雄・綿谷弘志・渡邉隆雄・以上9名(他に家族1名)